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2006年6月18日 (日)

違いはあった。少し。

何でこんなに湿気が多いのだろう。。日本は。タイもだけど。暑くて死にそうなのでブログ書く。今日は牛角で飯食ったので腹いっぱいで死にそうだ。。。。

アジアの違いと題打っているがホントのところで違いはない、と何日か前に書いたが、若干違いがあった。細かい部分でね。

今日日本人の女の子と話していて気づいたのだが「愛する」ということに関して若干のブレを感じた。何かというとその愛の質と深さである。国民性が大きく出るところかもしれない。

最近韓国のことは書いてないが、昔、韓国の女の子と付き合っていたときのその子の愛するという「深さ」は今思うと「深い」と感じる。その深さの根底はその対象となる相手を受け入れとする姿勢にある。日本人でもこの「深さ」はある。しかし本質が違う気がする。

血のつながり、血縁者のように接するのである。例えば親と子の関係のようにすべて受け入れた上で、対応策を出してくるような「深さ」である。もちろん韓国人でも人により違うのだろうが、この深さは「自分のことより他人を思いやる」、という美徳を重要視していることから生まれていると思う。日本にもその美徳観がある。両国とも宗教の影響が大きいと思う。しかし韓国の方がその美徳観に関して忠実と感じる。

日本の女の子も多少相手のこと考えてわがまま許したり、ダメ人間相手でも付き合って行くように努める。だがあるボーダーを越えると手間と面倒を考え関係を切る方向に行く。韓国人はこのボーダーラインが日本より高い。要するにわがままを許し、その上で向き合おうとする姿勢がある。人のつながりに対し真剣に取り組み、懐が深いのである。その反面、日本の大多数の女の子は人に対し、真剣に向き合うことを怖がり、一歩中に踏み入れるのを怖がっているように感じる。年齢が若ければ若いほどに。向き合うことにビビって逃げ続けても生活できる環境があるのだと思う。

この感覚を、相手をぎりぎりまで思いやり付き合ってくれるその彼女を思い出だすたび、そして僕がダメ人間であればあるほどひしひしと感じた。

日本にもこの種の女はいる。でも何か違う。「相手を思いやる」というニュアンスより、その根底には堕落や自己の弱さ、決断力のなさをよく感じる。フォローになるがあくまで僕のイメージであり、そうでない方には申し訳ない。

大陸と島国のDNAの違いなのか。経済の発展の度合いによるものなのか。両方ともはずれではないと思う。いずれにしても寂しいと思う。

好き勝手書いてしまったが、少ない僕の経験の中で感じたことである。

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