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2006年6月28日 (水)

今日の歌舞伎町

久しぶりに歌舞伎町に行った。

裏ビデオ摘発があって、あの地帯はどうなったんだろう、と思い行ってみた。復活していた。なんか今日は平日のなのに歌舞伎町は活気があった。しばらく行ってないからそう感じるのかなと思ったが僕が住んでいたときより間違いなく人も出て、特有のにおいがしていた。

ボーナスが出たからだね。良かった良かった。。。しかし裏ビデオの方は不作だった。イマイチ響くものがない。。。。

2ヶ月ぶりに行ったが自分の住んでいたところの前の道の幅が変わっていたり新しいラブホテルができてたりと入れ替わりをすごく感じた。自分が住んでいたときも換わり続けていたのだろうけどまったく気づかない、自分に近くない街のように思えた。少しさびしいね。

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2006年6月24日 (土)

女の値段のつけ方。

検索ワード見てたら「タイ 売春婦の値段」とか「タイ エロイ」とかで検索されてる。。。調べる方も調べる方だが、検索されて引っかかってしまうサイトもサイトだ。他にも書いてるんだぞ。。。

でもここまで言われたらアホな事を書かなきゃいけないような気がするので今日は女の値段について。

うちの会社では町行く女に値段をつけるのが日々のルーティンワークになっている。会社の中で何人かだけど。。。

女性何とか団体に見つかったらなに言われるかわかったもんじゃないが気にしてたら生きていけない。

査定項目として年齢、ファッション、フェロモン、スタイル、自分の好み、その時の気分。以下説明しよう。

①年齢。これに関しては女は若いにこしたことない。25歳以上は2秒で切り捨て。読んでそのまま四捨五入。30歳とみなし審査外。

②ファッション。これに関してはパッとみいいか(意味不明)?エロイか?

③フェロモン。髪型とかオーラとかその女から出ているものを直感的に感じる。これが一番判定が難しい。すれ違いざまに査定額は決定させなければならないので常に神経をはりつめていなくてはならない。難しいものでこれは美人度と金額は比例しない。コンマの差で決定される。

④スタイル。これはカオでかいのはだめ。ウエストのライン重要。

⑤自分の好み。これは基本的に上記をクリアすれば何でもOK

⑥そのときの気分。これは重要だ。ブスでもやりたいときは高い値段つけるし、かわいくても眠かったり、クソだるいときは下落し続けストップ安。

まあこんな感じで日々仕事に励んでいるのだが現在までで最高値8万、最安値1200円の幅で金額は決定されている。1200円の方に合掌。

ろくでもない会社だ。。。。

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2006年6月19日 (月)

頼むから

兄貴Hで検索するのは辞めてくれ。。。。。。誰が見てるかわかっちゃう。最近アクセスが増えているが検索ワードが気になるものばかり。。。

女と別れそうなので女について。最近回転が速い。前まで、1年ぐらいは彼女できたらもってたのだが最近は4ヶ月サイクル。。

で、今日本を立ち読みしてきた。なぜ女は突然怒るのか。というタイトルの非常に興味深いものだった。

題名と関係ないところでかいつまむと、付き合い始めて4年で「愛」というものはなくなるらしい。ドーパミンだとかエンドルフィンだとかイマイチ覚えにくいイルカみたいな名前の脳内物質が2年ぐらいで出にくくなってしまい、要するに飽きちゃうらしい。でも代わりに2年ぐらいしたら何とかって言うもっと簡単な名前にすればいいのに、と思うような物質が出てきてそれが安心感につながるらしい。要するにこの人といると楽だから付き合ってるという感じ。

問題はココだ。お互い安心感がなかったら・・・・と仮定するとどう考えても先はない。まず脱落。はい、俺おしまい。さようなら。

で、4年ぐらいすると何も出なくなっておしまい。はい、おしまい。

どっちにしてもさようなら。

猿とかオラウータンとかのやつらが4年が子供を生むサイクルらしい。だから人間もそうなのかも、って書いてあった。オラウータンのやつにしっかりしてもらわないと。

でも俺は4年じゃなく4ヶ月サイクル。ドーパミンが出なくなるのが4ヶ月。短いから安心感なんてない。。。そりゃ脱落するね。DNAに問題あるね。オラウータン君に見習わなくちゃ種の存続の危機になってしまう。

たぶんこのブログ読んでる人はこんな感じの人が多いんじゃないですかね。。。。

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2006年6月18日 (日)

場末

何日かまともなことばっか書いてたので今日はこの前バンコク行ったときの話し。

ナナに行く。時はソンカーン真っ最中。レインボー4に行った。行ったら行ったで昔のよくペイバーしていた子の友達が居たりして凹む。かわいい子たくさん居たが、なんか感じ悪いなと思ってレインボー2へ。

時は0時。ブスばっかりだ。。。それはいいんだがウエイトレスがなぜか言い寄ってくる。。かわいければいーよ、うん。でもね、現実はそう甘くない。

女は22まで(見た目が)、とぶった切り、レインボー1へ。あっ、前回一緒に来たS氏のお気に入りの巻き髪がいる!!遠めにみながらテキトーにビールを飲む。するとなぜかウエイトレスが横に座り「ねえ、ペイバーしてよ。カンクン2000Bでいいから。。」っていう。

「安いのはわかる。でもね。冗談はカオだけにしたほうが・・・」って言おうと思ったが店にこれなくなるのは嫌なので穏便に済ませておいた。これって何でだ?場末感が俺に漂っていたとしか考えられない。。。。確かに初日で疲れてた。でもね、もうおっさんなのかなって思った。。。。

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違いはあった。少し。

何でこんなに湿気が多いのだろう。。日本は。タイもだけど。暑くて死にそうなのでブログ書く。今日は牛角で飯食ったので腹いっぱいで死にそうだ。。。。

アジアの違いと題打っているがホントのところで違いはない、と何日か前に書いたが、若干違いがあった。細かい部分でね。

今日日本人の女の子と話していて気づいたのだが「愛する」ということに関して若干のブレを感じた。何かというとその愛の質と深さである。国民性が大きく出るところかもしれない。

最近韓国のことは書いてないが、昔、韓国の女の子と付き合っていたときのその子の愛するという「深さ」は今思うと「深い」と感じる。その深さの根底はその対象となる相手を受け入れとする姿勢にある。日本人でもこの「深さ」はある。しかし本質が違う気がする。

血のつながり、血縁者のように接するのである。例えば親と子の関係のようにすべて受け入れた上で、対応策を出してくるような「深さ」である。もちろん韓国人でも人により違うのだろうが、この深さは「自分のことより他人を思いやる」、という美徳を重要視していることから生まれていると思う。日本にもその美徳観がある。両国とも宗教の影響が大きいと思う。しかし韓国の方がその美徳観に関して忠実と感じる。

日本の女の子も多少相手のこと考えてわがまま許したり、ダメ人間相手でも付き合って行くように努める。だがあるボーダーを越えると手間と面倒を考え関係を切る方向に行く。韓国人はこのボーダーラインが日本より高い。要するにわがままを許し、その上で向き合おうとする姿勢がある。人のつながりに対し真剣に取り組み、懐が深いのである。その反面、日本の大多数の女の子は人に対し、真剣に向き合うことを怖がり、一歩中に踏み入れるのを怖がっているように感じる。年齢が若ければ若いほどに。向き合うことにビビって逃げ続けても生活できる環境があるのだと思う。

この感覚を、相手をぎりぎりまで思いやり付き合ってくれるその彼女を思い出だすたび、そして僕がダメ人間であればあるほどひしひしと感じた。

日本にもこの種の女はいる。でも何か違う。「相手を思いやる」というニュアンスより、その根底には堕落や自己の弱さ、決断力のなさをよく感じる。フォローになるがあくまで僕のイメージであり、そうでない方には申し訳ない。

大陸と島国のDNAの違いなのか。経済の発展の度合いによるものなのか。両方ともはずれではないと思う。いずれにしても寂しいと思う。

好き勝手書いてしまったが、少ない僕の経験の中で感じたことである。

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2006年6月13日 (火)

きっかけ2

ブラックアジアを読んで昨日、きっかけについて書いたが、もうひとつあるとすれば非現実感であろう。在タイの方にとっては日常、旅行者には非日常。だからこそすべてのことがインパクトある。その中で好奇心が生まれた。

日本に居てタイからメールが来る。非日常の世界から日常の世界に紛れ込んできた瞬間である。2回目に行ったとき、その好きになった子から来たメールは、そのほかの日本の女の子から来るメールより何倍もインパクトがあった。

遠すぎるところから来るものはとても印象に残る。その距離、意外性が大きな要因となる。また、海外にメールなんか返信したことないからちゃんと届くか心配だったり、携帯で返信したらちゃんと届くのか、など先が見えないところが僕の日常に生活の中に新鮮さをもたらした。15歳ぐらいのときに経験した「どうすればいいかわからない」というような感覚が蘇った。

日常の中に居ても、非日常へのコンタクトが可能であるということは「日常」の中で選択肢が増えたことになる。それは人と人のつながりがあるからできることで、その現実をより現実として教えてくれた。ここでもリアリティーである。行動の範囲が広がった瞬間である。

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2006年6月12日 (月)

きっかけ

ブラックアジアを読んでいて自分の過去の「きっかけ」を思い返した。つまり、なぜバンコクに魅かれたか。昨日で28歳になった。

兄貴Hと初めて行ったのは23のとき。24になるちょっと前の3月8日から4日間。当時、海外には2.3回グアムだのサイパンだの行っただけで、海外旅行は足の裏よりどーでもいいことだった。Hから誘われ、たまにはいいかな、と思っていったら、魅せられた。

ただ、1回目の旅行ではさほどタイにたいしてそれほど固執していたわけでなかった。ただ、旅行の最終日に出会った子の印象しかなかった。2回目である。当時金もそんなになかったので友人とまあ軽く行こうか、という感じだった。

その時も魔のナナに行っている。そこに居たのが一回目の旅行のときに会った子である。その子は例によってゴーゴーの子で向こうから声をかけてきた。僕は当然覚えていたのだが、向こうが完全に僕のことを覚えていた事に驚いた。そこからである。

最大の問題であるコミュニケーション、言語。これに関しては問題なかった。その彼女は日本語ぺらぺら。もう何回もバンコクに行っているがいまだに彼女より日本語のうまい子には会ったことがない。その彼女の才能のおかげでいろいろ、タイの文化や、言葉、ものの考え方を学んだ。彼女は客はとりながら真剣に僕に向き合っていた。なぜか金は介在しなかった。そこからである。

この子から多くのことを学んだ。初めて外国に行くと、特に単一民族である日本人は環境に対し一線を引く。未知に対する防衛本能だろう。僕もそうであった。しかし彼女の高いコミュニケーション能力とお互いの姿勢によって新しい事に近づくことができた。

世間でよく言う、人類みな兄弟、と初めて聞いたときは理解できなかった。漠然としすぎて想像つかなかった。しかし、彼女からの影響により得た一番大きなものは、国はちがくとも悲しみ、喜び、怒り、楽しみ、などという人間の「本質」は人間である以上同じであり、時代も国籍も関係ない、ということに対するリアリティーであった。

それは僕の価値観や、判断に大きな影響をもたらし、度々このブログにも書いてある通り、人種差別、偏見に対し慎重でなくてはならないと思っている。

国という大きな枠で捉えず個人として捉えることが重要で、俗に言う、どの国行ってもいいやつもいれば悪いやつもいるということである。

結局のところ、このリアリティーが新鮮であったのであろう。現実感のない時間での強烈なリアリティー。それを教えてくれたその子を好きになり、とどのつまり、人として「近づけた」のを感じた。それは新鮮で斬新だった。親近感が生まれた瞬間である。

その新鮮さを通してもっと彼女に興味を持ち、受け入れ、価値観や、環境に対し興味を持った。それが「きっかけ」だった。価値観に対して角度が広がった瞬間であった。

倫理上、買春という行為は良くない、ということは理解している。ただ、その行為によってもたらされた価値観は皮肉にも僕にとって大きなものになった。「アジアの違い」と題打っているが本当のところに違いはない。

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